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2008/10/09

ニッポン維新(15) 法律は誰が作っているのか

2008/10/01

ニッポン維新(14) 政治とカネの本当の話(3)

2008/09/24

ニッポン維新(13) 政治とカネの本当の話(2)

2008/09/18

ニッポン維新(12) 政治とカネの本当の話(1)

2008/09/08

ニッポン維新(11) 政治リーダーの作り方

2008/09/05

ニッポン維新(10) 福田総理辞任の真相(2)

2008/09/04

ニッポン維新(9) 福田総理辞任の真相(1)

2008/08/27

ニッポン維新(8) 闇将軍から学ぶ権力のツボ

2008/08/20

ニッポン維新(7) 日本には野党がない

2008/08/13

ニッポン維新(6) 田中角栄の話の聞き役

2008/08/08

ニッポン維新(5) ロッキード事件の嘘

2008/07/30

ニッポン維新(4) 情報はすべて疑え

2008/07/24 ニッポン維新(3) 政権交代こそニッポン維新
2008/07/16 ニッポン維新(2) 崩壊寸前の自民党政治
2008/07/07 ニッポン維新(1) 坂本龍馬の夢を追え
 
 

ニッポン維新(15) 法律は誰が作っているのか

 国会は「国権の最高機関」であり「唯一の立法機関」と呼ばれます。国民に選ばれた代表が集まり、そこで法律を決めるからです。それでは法案を書いているのは誰なのでしょうか。国会議員なのでしょうか。国会議員が法律を作る事を「議員立法」と言いますが、実は「議員立法」は極めて少ないのです。法律の大半は「内閣法」と言って、霞が関の官僚が作っています。国会は官僚が作成した法案を承認し成立させているに過ぎません。


 これまでの国会の歴史で最多の「議員立法」を行ったのは田中角栄氏です。46本提案して33本成立させました。特に36歳までの若かりし頃に5年間で26本も提案しています。党の幹部になり、或いは閣僚として関わったものを含めると120本になると言われます。最近話題になった道路特定財源の仕組みを作ったのも角栄氏の議員立法でした。当時の日本の状況を考えると必要な法律です。日本の高度成長に大きく貢献したと思います。しかし時代が移り必要がなくなっても既得権益はそれにしがみつきました。角栄氏が現代に生きていたら道路特定財源とは異なる仕組みを考え立法したと思います。

 立法府に所属する国会議員が立法する。それが当たり前だと皆さんは思っていたのではないでしょうか。ところが実態は違います。ほとんどの法案を行政府の官僚が作っているのです。民主主義の三権分立とは、国民の代表が法律を作り、その法律に従って官僚が行政の実務を行う事なのですが、この国では官僚が行政府に都合の良い法律を作り、それに従って行政が行われています。政治の主役が政党ではなく、官僚である事を端的に物語る事実です。

 
それでは何故議員立法が少ないのでしょうか。議員立法をするのに制約があるからです。まず衆議院では20名以上、参議院では10名以上の賛同者が必要です。賛同者を集めても所属会派が賛成しないと議会事務局が法案を受理しない事になっています。こうした制約は、目立ちたがり屋の政治家が地元や業界のために「利益誘導」する法案を提案するのを防ぐために議員たちが決めました。

  私はいつも不思議に思うのですが、民主主義政治というのは立場の異なる人々の利害の調整を行う事です。若者と年寄り、男と女、お金持ちと貧しい人、健常者と障害者、都市と地方、北と南、それぞれ立場の違う人々が「共生」するためにどうすれば良いか、それを決めるのが民主主義政治です。そのために自分たちの立場の代表を選挙で選びます。ですから議員にはその立場を主張してもらわなければなりません。議員の仕事は支持者の利益を主張する事、つまり自分の支持者への「利益誘導」ではないかと思うのです。ところがこの国では「利益誘導」はやってはいけない事のように言われます。他の国ではない事です。ともかく日本ではそういう理由で議員たちが自分の手を縛りました。

  さらにより重要な事が法案を作成するための情報です。日本という国は情報を全て霞が関の官僚機構が握っています。官僚に助けてもらわないと立法ができない仕組みになっています。立法府にも一応は国会図書館に「調査立法考査局」という立法補佐機関があります。また衆参両院にそれぞれ「法制局」があって立法作業の相談に乗ってくれる事になっています。ところがこれらの機関には独自に情報を収集する能力がなく、おかしな事に行政府の下部機関のような存在になっています。従って議員たちは誰も立法府の機関を利用せず、みな霞が関を向いてしまいます。立法府の立法補佐機関が現状のままであるならば税金の無駄遣いと言わざるを得ない現実があります。

  官僚がこの国を支配できる鍵は「情報の独占」です。それが官僚支配のからくりです。霞が関に誰もが逆らえないのは情報がそこにしかないからです。そして立法を官僚が行う事で官僚の権力が強まります。立法を立法府の議員が行うという本来の姿になればこの国の官僚支配はあっという間に崩れます。

  私はかつて「国会テレビ」という議会中継専門テレビ局の設立を提案した事があります。55年体制末期の政治が余りにひどいので、議会のありのままを国民に公開する事で、政治を良くしようと思ったからです。それは1970年代にアメリカ議会が行った政治改革を真似する事でした。ベトナム戦争とウォーターゲート事件で政治不信が頂点に達したアメリカでは、議員たちが政治不信を取り除くために政治の「透明化」を図りました。情報公開法を制定して行政情報を公開し、議員、官僚、裁判官の資産を公開し、議会の審議も映像で公開する事にしました。79年にC−SPANという政治専門チャンネルが出来て放送を開始しました。私はC−SPANのようなテレビを日本にも作ろうと思いました。

  テレビには免許が必要なので当時の郵政省事務次官に構想を話したところ、こう言われました。「田中さんの構想は日本のためには良い事です。でも私の目の黒いうちは実現して欲しくないなあ。テレビで国会が公開されたら議員の先生方が奮起して自分で立法するようになる。すると優秀な学生が役所に来なくなって、みんな政治家の秘書になって立法を助けるようになる。それでは霞が関の力は低下してしまいます」と。(続く)

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ニッポン維新(14) 政治とカネの本当の話(3)

 「金権政治家」田中角栄総理が退陣すると、その後に誕生した三木内閣は政治資金規正法の改正に取り組みました。金権腐敗の政治を正すことが急務というわけです。ところで政治資金規正法の「規正」が「規制」でないのは、民主主義は言論活動や政治活動の自由を保障する事が大事で、政治資金についても法律で「規制」すべきではないと考えられるからです。


  政治資金規正法は、戦後の混乱期に弱小政党が乱立し、政治腐敗が後を絶たなかったことから、昭和23年に議員立法で成立しました。法律の目的は政治資金の流れを国民が監視できる「透明化」にあります。この法律はその後手付かずにきましたが、三木内閣はそれを大改革する事にしました。政治資金の収支の公開を強化すると同時に政治献金の額の「制限」に踏み込みました。政治資金を「規制」する事はクリーンのようですが、一方では政治献金に「良からぬもの」というイメージを植えつける事になります。

  その翌年にロッキード事件が起こると、田中角栄氏に5億円を渡した商社丸紅が摘発されました。丸紅は政治献金だと主張しましたが、賄賂と認定されて贈賄容疑で幹部が逮捕されます。前にも言いましたが、それまで税制上政治献金と認められてきたのは大企業の「交際費」です。しかしロッキード事件を見て大企業は政治献金から手を引くようになりました。

 大企業に代わって積極的に政治献金を行うようになったのがベンチャー企業です。その代表例が江副浩正氏が率いるリクルート・グループでした。政治献金の額が制限されていますから、江副氏は違う方法を考えました。政治家に自分の傘下のファイナンス会社から融資し、その金で儲かるのが確実な未公開株を買わせました。株を上場すれば巨額の利益が懐に入ります。リクルートはこのやり方で未公開株を政界、官界、財界、マスコミなどにばら撒きました。それが発覚すると日本社会は「濡れ手で粟」と批判し、リクルート事件は一大スキャンダルへと発展しました。

 また絵画が政治献金の方法として利用されました。絵画には驚くほど高価なものがあります。絵画そのものは美術館に置いたまま所有権を移転すれば、莫大な金のやり取りが可能です。本来表に出せない金の移動は全て現金です。銀行の口座や小切手を使うと証拠が残るからです。しかし現金は運ぶのが大変です。その点で絵画は便利でした。何も動かさずに資金の移動が出来ます。竹下登氏が関わったとされる「金屏風事件」はそれが表に出た1つの例です。

 このように政治資金を「規制」した結果、政治献金はどんどん地下に潜って、闇の世界に入り込みました。アングラ勢力の金が政治の世界に入り込むようにもなりました。バブル期に日本の銀行がヤクザに絡め取られて不良債権を累積させたように、政治の世界にもヤクザの力が浸透しました。公共工事の談合を仕切っているのは裏社会です。それに政治が振り回されるようになりました。

 アメリカ大統領選挙は1年がかりで行われます。その長い戦いで候補者同士が何を競い合っているかといえば、政策などではありません。どんな個人攻撃にも耐えられる強靭な精神力と長い選挙を支えるための資金です。多くの人に献金したいと思わせる政治家にはリーダーの資格があります。集金能力は政治家に不可欠の資質なのです。ところが日本では政治献金が闇の世界とつながり、ますます「規制をしろ」という事になるのです。

  政治資金がなければ政治活動は出来ません。ソ連が崩壊した時、その歴史的瞬間を自分の目で確かめようとアメリカでは多くの議員がモスクワに行きました。ところが日本の国会議員は誰一人モスクワに行きません。日本の議員はもっぱら国会の閉会中に国会の費用、つまり税金で意味のない海外視察に出かけます。冷戦の終わりという世界の構造変化に反応しない議員に私はがっかりしました。しかしコソボ紛争が起きた時、自民党の若手議員が自費で安い航空チケットを買い現地に行った話を聞いて感動しました。そういう議員が現れた事は喜ばしい限りです。そうした事のために政治資金は必要なのです。

  私は政治資金を「規制」するのは間違いだと思っています。むしろ政治献金を闇の世界から日の当たる場所に出して、どんなに多額の金を集めても使い道さえ納得できれば問題にすべきでないと思います。大事な事は「入り」と「出」をはっきりさせる事です。しかし実は政治家は「入り」と「出」をはっきりさせる事が嫌なのです。これまでの司法の動きを見ると、大体10年に1度の割合で政治家が逮捕されます。それに自分が引っかからなければ10年間は安泰です。そう考えて政治資金を好きなように使いたいのです。

  逮捕を免れるためには官僚と仲良くして霞が関から睨まれなければ良いのだと考えます。世襲によって議員の地位を私有財産にしている議員ほど政治資金も自分の金と考えまず。だから日本の政治家は政治資金を「規制」することに賛成して、政治資金を「透明化」することに反対するのです。こうして結局は政党助成法という法律を作り国民の税金が政治に投入される事になりました。本来は政党がシンクタンクを作り、国民への広報を充実させる目的の金でした。しかし議員に分配されています。何とも情けない話です。(続く)

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ニッポン維新(13) 政治とカネの本当の話(2)

 角栄氏が「社会党こそ金権だ」と言ったのは、国対政治の裏側で与党から野党に金が流れていた事を指したのだと思います。55年体制末期の国会は本当に酷いものでした。野党が予算委員会でスキャンダルを追及し、政府与党が答弁に詰まると審議は止まります。国会用語で「寝る」と言いますが、審議拒否が続くと予算の行方が不透明になります。すると予算を通すために与党から野党の国対幹部にカネが流れます。そしてタイミングを見計らって野党が審議に復帰する。そんな事が続いていました。初めは真剣に与党を追及していた野党が、いつの間にかカネを貰う為に審議拒否をするようになりました。角栄氏はその事を言ったのだと思います。


  法案を通してもらうために初めは麻雀で与党議員がわざと野党議員に負けたり、野党議員と家族ぐるみの付き合いをして奥さんにプレゼントをしたりしていたのが、最後は国会の中で紙袋に入れた現金の受け渡しが行われるようになりました。与党の政治家に指示されて野党にカネを運ぶ人物を目撃した事があります。あまりの大胆さにそれを糾弾する事がはばかられる気になりました。しかし与党にも野党にもそんな状況は続かないとの自覚はありました。国対政治の裏側を知る政治家ほどその思いが強かったと思います。それが小選挙区制を導入し、政権交代可能な政治体制を実現しようとする「政治改革」の動きへとつながっていったのです。

  角栄氏が「俺はひも付きでない」と言ったのは、自前で政治資金を作ったために財界や官僚の言いなりにはならずに政治が出来るという意味です。政界には藤山愛一郎氏のように個人の資産を政治に注ぎ込んだ人もおりますが、自民党の実力者の多くは財界をスポンサーにするか、官僚機構を経た政治資金に支えられていました。「昭和の妖怪」と言われた岸信介氏は「政治資金は濾過器を通すものだ」と公言していました。「濾過器」とは「官僚機構」のことです。違法な献金も「濾過器」を通せば司法に摘発されない「きれいな金に変わる」という意味です。

 まず日本の税制は「献金」を認めません。欧米と日本が著しく異なるのがこの点で、欧米では献金は税金と同様に社会に貢献する方法です。献金をすればその分税金は控除されます。ですから欧米の金持ちは競って献金します。しかし官僚国家の日本では税金と違って官僚の手の及ばない献金は、「よからぬ意図に利用される」と考えられます。献金をするとさらに税金を取られるので誰も献金しません。欧米の政治家が国民や企業からの献金で活動を行うのに対して、日本では企業の「交際費」だけが税制上政治献金として認められてきました。

 そのため国会議員になりたての政治家は企業を回って献金を集める事が仕事になります。窓口は総務部で総会屋を担当するのと同じ人間が相手です。つまり日本の政治家は企業から見ると総会屋と同じで、困った時に頼み事をするために保険を掛ける意味で金を出す存在でした。

  といっても企業は営利目的です。簡単には政治献金に応じません。そうした時に政治家が泣きつく先が官僚機構です。官僚国家日本では許認可権を持つ官庁が企業の生殺与奪の権限を握っていますから、官庁が口を利けば企業は献金に応じます。官僚機構の協力で献金を得た政治家は官僚機構に頭が上がらなくなります。こうして役所に協力する「族議員」が出来るのです。そして官僚機構が深く関与すればするほど日本の司法は摘発に及び腰になります。

  ロッキード事件でも分かるように民間航空機の贈収賄事件は摘発しても、防衛庁の機種選定は全く捜査の対象にしませんでした。官僚国家の司法は官僚を守るための司法なのです。ですから岸信介氏が言うように官僚が関与した政治資金は「濾過器」を通った資金として捜査の対象から排除されます。


  田中角栄氏の資金作りはそうした政治献金のあり方への挑戦でした。だから世間からどのように批判されても本人は胸を張ったのだと思います。しかし官僚機構の側から見れば、これは官僚機構に楯突く姿勢で許したくないやり方です。官僚機構に対する挑戦が田中角栄氏を悲劇に追い詰めて行ったのだと思います。(続く)

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ニッポン維新(12) 政治とカネの本当の話(1)

 9月1日に福田総理が突然辞任したため、テーマを一時中断し、3回に渡って総理辞任の背景と政治リーダーの育て方を書きました。今回から再び本論に戻って日本の政治構造の解明を続けます。今回はカネの話です。


  田中角栄氏の力の源泉は「カネ」だと言われています。田中角栄と言えば「金権」というのが真っ先に浮かぶイメージです。それは総理在任時に、雑誌「月間文芸春秋」に掲載された立花隆氏の論文「田中角栄研究」が、膨大な資料を駆使して角栄氏の錬金術を暴きだした事に起因しています。そしてその報道によって角栄氏は総理辞任に追い込まれたと信じられています。私も初めはそう思っていました。

 ところが角栄氏の話を聞いているうち、私はその見方に疑問を抱くようになりました。角栄氏は立花論文が指摘した違法すれすれの資金作りを全く悪びれていませんでした。むしろ「他の政治家と違い、俺は自分で金を作った」と胸を張っていました。「俺はひも付きでない。政治を自分の意思で進める事が出来る」と自慢したのです。

 角栄氏の言葉の端々から総理を辞任した本当の理由は、「愛人の存在」を巡る娘の真紀子氏との確執にあると私は感じました。当時「越山会の女王」と呼ばれた佐藤昭子氏の国会喚問が予定されていました。しかし総理辞任によって喚問はなくなりました。その昭子氏には娘が一人おり、認知はされていませんが角栄氏の子供だと噂されていました。真紀子氏は愛人の存在を絶対に認めず、従って佐藤昭子氏が国会に喚問されることも認めませんでした。真紀子氏に責められて角栄氏は総理を辞任したのだと思います。愛人の存在を満天下にさらしたくないという娘の気持ちに逆らえなかったのだと思います。また年が若いだけに再び総理に戻れると思ったのでしょう。ところが権力を手放した途端、角栄氏をロッキード事件が襲い逮捕されてしまったのです。

  私が知る田中角栄氏は真紀子氏を常に批判していました。「真紀子」とは呼ばずに「あのシャモが」と言って、何かにつけて悪く言うのです。他人の前でなぜこんなに悪し様に言うのか不思議でした。普通でない親子の確執を感じました。角栄氏に総理辞任を迫ったのが真紀子氏で、言う通りにした結果、逮捕されてしまったという想像は、そうした言葉の端々から私が感じ取ったものです。角栄氏には他にも認知した二人の息子と愛人がおりました。ところが後に角栄氏が病に倒れた時、真紀子氏は愛人や実の子供に断じて面会を許しませんでした。真紀子氏のそうした対応を見て、私は自分の想像が間違っていなかったと確信し直しました。

  いずれにしても角栄氏は「金権政治家」と批判された事に全く打撃を受けた様子はありませんでした。「自分を金権だと批判した社会党の方がよほど金権政治をやっている。自分がその気になれば社会党は金権批判など出来なくなる」というニュアンスの事を言っていました。(続く)

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ニッポン維新(11) 政治リーダーの作り方

 去年に続いて再び国のリーダーが政権を投げ出しました。しかも二人ともやる気を見せた直後の辞任です。安部前総理は参議院選挙惨敗にも拘らず続投を宣言し内閣改造をした直後に、福田総理も前政権の後始末の追われた通常国会を終え、いよいよ「福田カラー」を出すための改造を行った直後の辞任です。尋常の辞任とは思えません。やりたい事があったのに、それをさせない力に押し切られ、むしろ本意ではないことをやらされそうになったので、それを拒否したと私の目には映っています。

 安倍前総理の場合は早く臨時国会を開いて海上給油法案を再議決しようと思っていたのに、臨時国会を早期に開かせない力に押し切られ、時間切れになって自衛隊が引き上げれば政治責任を問われる事が分かったためにその手前で政権を投げ出しました。福田総理には公明党が再議決に反対しているにも関わらず、北朝鮮から拉致被害者を帰国させる見返りに再議決を迫る圧力が党内からあり、それを拒否してもそれに乗っても解散か総辞職をやらざるを得ない事が分かって、それに抵抗の意思表示をしました。

 メディアは「無責任だ」と散々個人批判をしています。しかし私は辞めた個人に責任があると言うのなら、同時に「無責任総理」を選んだ自民党にも責任があり、「自民党総裁選挙には日本の最高権力者を選ぶ資格はない」と言うべきだと思います。そしてそれよりもやる気を示した総理がその直後に政権を投げ出すという日本の政治構造、言い換えれば最高権力者が自分の思い通りに出来ない構造にこそメスをいれるべきだと思います。

 それにしても安倍前総理も福田総理も政治家としては「ひ弱」です。日本の政治リーダーが心もとなくなったのは竹下内閣の頃からだと私は思います。それまでの「三角大福中」の時代には、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、中曽根康弘氏ら良くも悪くも強烈な個性が総理の座を巡って激しい権力闘争を繰り広げました。続いて竹下登、安倍晋太郎、宮沢喜一の3人が「安竹宮」としてしのぎを削りました。自民党にはそうやって総理候補を明示することで、本人の自覚と成長を促し、競争させる仕組みがありました。

  中国共産党は去年10月の党大会で胡錦濤総書記の後継者として李克強、習近平の二人を指名し、どちらかが5年後に政治リーダーになる事を内外に示しました。両氏はこれから切磋琢磨しながら競い合う事になります。民主主義国家とは異なる方法ですが、かつての自民党と同様に一党独裁の国の政治リーダーの育て方です。どちらがリーダーに就任しても国民全体が納得してリーダーを迎えます。

 ところが日本では竹下内閣の崩壊と共にこうした仕組みも崩壊しました。意外な人物が次々総理に指名されます。突然ですから国民は勿論のこと本人にも自覚と準備がありません。自民党という御輿の上に乗るだけです。担ぎ手が手を離せばすぐ転落です。そういう状態が30年近くも続いてきました。その間に国際社会は冷戦の崩壊という大転換を迎えましたが、日本はそれには目が向きません。内側の混乱にのみ終始してきました。

  アメリカには戦後生まれのクリントン大統領が登場し、21世紀への準備を始めます。そのクリントン政権の8年間に日本では7人の総理大臣が交代しました。その7人に満足に総理の仕事ができたとは思えません。日本はリーダー不在のまま21世紀の準備もなく生きてきました。そこに「自民党をぶっ壊す」と言う総理が現れてメディアが操られました。それが政治の質を大きく劣化させ、政権投げ出しに至るのです。我々はどのようにしてこの国のリーダーを選び育てるかを真剣に考えなければならない時に来ました。

  アメリカは4年ごとに大統領選挙をやり、大統領の任期は2期8年です。1年間という長い選挙で選ばれるため、巨額の選挙資金を集め、様々な攻撃に耐えなければなりません、それを乗り越えるのがリ−ダーになる条件です。イギリスでは政党支部の厳しい審査をパスしなければ政治家になれません。政党が選挙の全てを取り仕切ります。議員活動の実績を認められ選挙の顔だと判断されれば党の代表に選ばれます。議員の任期は5年ですが首相の任期は選挙から選挙までで何度でも続投できます。ブレアは3期10年首相をやり、3期目の途中で自らの意思でブラウンに交代しました。アメリカにもイギリスにも「世襲」はほとんどありません。選挙が政党中心だからです。

  ところが日本では個人後援会が選挙の中心で議員職は私有財産です。そのため自民党議員は4割が「世襲」です。政権投げ出しの二人も「世襲」議員でした。そしておかしいのは政治リーダーの任期を選挙とは関係なく政党が決めている事です。自民党は3年、民主党は2年ごとに党首選挙を行います。つまり国政選挙で勝った党首が国民の意思とは関係なく代えられてしまう可能性があるのです。ところが「党首選挙はメディアが報道してくれるから宣伝になる」とか「開かれた政党をアピール出来る」とか「政策を競い合うのは民主主義だ」とか妙な理屈で、国民の意思よりも政党の都合が優先されます。


 
小沢代表をリーダーとして参議院選挙に勝った民主党が党則によって代表選挙をやろうとしました。もし小沢代表が敗れれば参議院選挙の民意を裏切ることになるかもしれません。ところが民主党はそうは考えないのです。代表選挙をやる事が民主主義だと言うのです。そして選挙が無投票になると「民主主義でない」、「開かれた政党でない」などとメディアが非難するのです。政権交代を繰り返している先進民主主義国では到底理解できない論理です。むしろ自民党も民主党も国政選挙と関係のないリーダーの決め方を見直すべきではないでしょうか。そこから始めないと本当の意味での政治リーダーは育たないと思います。(続き)

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ニッポン維新(10) 福田総理辞任の真相(2)

 与党には権力が半分しかないことを理解していた福田総理は、民主党の小沢代表と全く同じ「自立と共生」を看板に掲げて政権をスタートさせます。そして協調路線を確立するために民主党に擦り寄ります。これが民主党からは「クリンチ作戦」と言われて馬鹿にされ、保守陣営からは「毅然としていない」と厳しく批判されました。メディアも「主張が見えない」と批判します。しかし参議院を握られたら野党の言うことを聞くしかないのです。主張など出しても通らないのです。不幸な事ですが衆議院で三分の二を持っているばかりに周囲は政権運営の深刻さを全く理解しません。三分の二がなければ民主党に擦り寄る事を誰も非難出来なかったはずです。福田総理は耐えるしかありませんでした。そしてやっと小沢代表との大連立協議に漕ぎ着け、「民主党の安全保障政策を丸呑みする」という画期的な決断を行います。


 これは日本がアメリカの要求するインド洋での海上給油をやめて、国連が主導するアフガニスタンでの治安維持活動を支援する事を意味します。戦後の日本がとり続けてきたアメリカ一辺倒の外交政策を大転換させる話です。それをやらないと「自民党は終る」と福田総理は思ったのだと思います。私は幕末に徳川慶喜が決断した大政奉還を思い出しました。慶喜は時勢が読める人ですから、倒幕勢力と戦っても勝ち目はない、それより政治権力を朝廷に返還し、公武合体(保革連立政権)によって徳川家が政治に関与できるようにしようと思いました。

 しかし大政奉還は幕府内の保守派から批判され、公武合体は倒幕派に受け入れられません。徳川幕府は最終的に武力で倒されますが、鳥羽伏見の戦いが始まると総大将であるはずの慶喜は戦争の指揮をとらず、江戸に逃げ帰って隠遁生活に入ります。慶喜の公武合体策が失敗したように大連立も頓挫して、福田総理がやろうとした与野党協調路線は崩れました。野党は徹底抗戦、与党は再議決の国会が始まりました。そして自民党の中には民主党内部の意見の相違につけ込み、小沢代表の「政局優先」を批判して、反執行部を切り崩す工作が始まります。民主党揺さぶりに使えるのは海上給油法案と道路特定財源を巡る与野党対立でした。

 海上給油に賛成する民主党議員と道路特定財源に賛成する民主党議員を取り込むために与党は再議決を強行して民主党を挑発する必要があります。しかしこれは福田総理が描いていた政治手法とは異なるものだったと思います。例えば道路特定財源を巡る問題では福田総理は当初から一般財源化を考えていたと思いますが、それに反対する国土交通省、それに連なる族議員、そして民主党を分断しようとする勢力は福田総理に一般財源化方針を表明させませんでした。

 最後に何とか一般財源化に漕ぎ着けますが、その間に内閣支持率はどんどん下がりました。しかも年金記録問題や防衛省不祥事など自民党政権の「負の遺産」が次々表面化します。とりわけ小泉政権が導入した後期高齢者医療制度が大きく内閣支持率の足を引っ張りました。福田総理が小泉政権の政策を全否定できれば良いのですが、小泉政権の政策を作ったのは霞が関の官僚で、福田政権もまたその霞が関の官僚に依存しています。しかも福田総理はかつて官房長官として小泉政権の一員であったわけですからなお難しい立場にありました。

 通常国会が終って福田総理は初めて自分の政策を打ち出そうとします。消費者庁設置法案です。それを福田総理は「静かなる革命」と呼んで意欲を見せていました。消費者庁設置法案の目途がついたらいつでも辞める気でいるなと私は見ていました。それを成し遂げるためには自前の内閣を作る必要があります。改造人事が注目されました。

 この頃から政局は激しく動きます。まず公明党が福田政権から距離を置き、海上給油法案の再議決に反対を表明します。公明党が反対すれば再議決は出来ませんから民主党と折り合える国際貢献策を考えるしかありません。ところがもう一方で北朝鮮の拉致再調査の話が進展します。これまでに名前の挙がっていない拉致被害者が帰国する可能性が出てきたのです。そのためにはアメリカの協力を得る必要があります。そうなれば海上給油をやめる訳にはいきません。

 小泉元総理からは福田総理の手で解散をやらせようという圧力がかかってきました。「拉致被害者が帰国したら即解散」と言う圧力です。そうした中で福田総理は改造人事を行いました。ここまでは福田総理に辞める気は毛頭ありません。改造は小泉政治への決別を色濃く見せるものでした。さらに麻生政権への「禅譲」を臭わせ、公明党に配慮した布陣となりました。ここから小泉グループの反撃が始まります。

 解散圧力がさらに強くなりました。小泉グループとしては麻生政権の誕生だけは何としても阻止したい、そのためには福田総理に解散をやらせて自民党を敗北させ、麻生幹事長に連帯責任を負わせようとしたのです。現状で小泉元総理が総理に復帰することはありえませんが、自民党が野党に転じれば小泉元総理には救世主としての期待感が出てきます。一時は拉致被害者の帰国に政権の命運を賭け、海上給油の再議決も厭わないと考えた福田総理ですが、自分に解散をさせるシナリオだと気づきました。また民主党に対する切り崩し工作もたった二人しか離党させられない事が8月末にはっきりしました。自分のやりたい政治を犠牲にしてやってきた事がその程度だったのです。そこで福田総理は解散と海上給油法案再議決を迫るグループに対して完璧な「ノー」を突きつけたのです。それが突然の辞任の背景だと思います。

 しかし二人も続けて総理が政権を投げ出した事は世界の笑いものです。ここで心に刻み付けておいて欲しいのは、最高権力者である総理大臣が自分の思うように政治が出来ない仕組みがこの国にはあると言うことです。そして政治リーダーの育て方や、選び方に問題はないかということです。それを次回に考えます。(続く)

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ニッポン維新(9) 福田総理辞任の真相(1)

 9月1日、福田総理が突然辞任を表明しました。去年の安倍前総理に続いて二人目の政権放棄です。国民はさぞあきれ返っただろうと思います。しかも「福田カラー」を出すための内閣改造をやった直後の政権放棄ですから、何がなんだか分からなくなります。そこで今回はこの問題を取り上げて、この国の構造と問題点を考えてみる事にします。


  なぜ福田総理は政権を投げ出したのか。民主党が「横暴な国会運営」を行って「聞く耳を持たなかったからだ」という説があります。政権交代を狙う野党が与党を攻撃するのは議会制民主主義の国では当たり前です。もし自分が進めている国民のためになる政策を野党は妨害していると言うのなら議会を解散して国民に信を問うのが常道です。しかし「自分には人気がないので選挙に勝つ自信がない。だから人気のある人に総理を代わってもらう」と言うのなら「進めている政策」にも余り自信がないと言う事になります。

  次に公明党が追い詰めたという説があります。公明党が海上給油法案の再議決反対と、定額減税を要求して福田総理を辞任に追い込んだというのです。しかし公明党は福田総理の内閣改造を高く評価していました。特に麻生幹事長を起用したことは大歓迎でした。これで「ポスト福田」は国民に人気のある麻生氏だと思われたからです。しかしだからと言って改造後わずか一ヶ月で交代させる必要はありません。

  民主党との大連立協議で「民主党の安全保障政策を丸呑みする」と言って、海上給油を断念しようとした福田総理です。再議決をどうしてもやると思っていたとは思えません。仮に国会で多数が海上給油に反対すれば、アメリカをはじめとする国際社会もそれを認めざるをえません。日本は別の国際貢献策を考えれば良い訳です。それが民主主義というものです。また福田総理は内閣改造で小泉政権が進めてきた構造改革派の財政政策を転換する布陣を敷きました。定率減税を廃止した小泉政権と違いを見せようとしました。公明党が要求する定額減税を受け入れたのもその延長上と思われますから、それが辞任の理由になるとは考えられません。

  メディアには「外に民主、内に公明」という見出しが躍って、福田総理を追い詰めたのはこの二つの政党であるかのような印象を与えています。しかしこれは政治につきものの操作情報です。本当の理由を見えなくするための情報です。福田総理も政治家であれば辞任会見で本当の事をはっきり言うわけにはいきません。辞任の本当の理由は総理の最近の言動や辞任会見の言葉の断片から我々が読み解いていくしかないのです。

  結論から言うと私は福田総理を追い詰めたのは自民党だと思っています。そもそも福田総理は安倍前総理が政権を投げ出したために担ぎ出されました。参議院の過半数を野党に奪われた片肺状態の政権を任されました。前にも説明しましたが日本の二院制は世界に例がないほど参議院が強いのです。参議院を奪われると総理大臣は野党の言う事を聞くしかなくなります。戦後GHQが作った憲法には色々問題がありますが、いい加減さの典型が国会の仕組みだと私は思っています。当初GHQは日本の国会を一院制にしようとしました。しかし日本の官僚が二院制を主張します。選挙で選ぶ事を条件に貴族院に代わる参議院が認められました。その時なぜか参議院の否決を覆すためには衆議院で三分の二の議決が必要だという高いハードルが設けられました。そんなルールは世界中ないと思います。しかしその事が国民にほとんど理解されていません。

  とにかくこれまでは万年与党と万年野党の時代が長く続いてきたため誰もこの問題の深刻さを知りませんでした。与党の中には衆議院で三分の二以上を抑えていれば何とかなると思った人が居たのでしょう。だから安倍前総理も続投を表明しました。しかし安倍前総理のように「戦う政治家」を標榜する対決型の政治家では国会は全く動かなくなります。相手は豪腕と言われる小沢代表です。政治は心肺停止状態になる事が予想されました。それに気づいた自民党は臨時国会の召集日を意図的に遅らせ、海上給油法案が期限切れになるようにして安倍前総理を退陣に追い込もうとしました。安倍前総理を辞任に追い込んだのは自民党です。その事に気づいた安倍前総理は悩んだと思います。体調が思わしくなくなったのはそのためです。その結果、代表質問の前日に政権を放り出しました。

  「ねじれ」国会に対応できる総理として担ぎ出されたのが福田康夫氏です。自ら望んで総理になったわけではありません。自民党の危機的状況を救うために「貧乏クジ」を引かされたのです。役目は野党と戦うことではなく、野党の言い分を取り入れて協調路線を敷くことでした。ところが自民党はその裏で民主党を分断する切り崩し工作に力を入れていました。それが福田総理の足を引っ張る事になるのです。(続く)

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ニッポン維新(8) 闇将軍から学ぶ権力のツボ

 闇将軍と言われた田中角栄氏がどのようにして日本の政界を牛耳ったかを見ていると、この国の政治構造が良く見えてきます。角栄氏が自民党と国会を牛耳る事が出来たのは数の力です。官僚出身の政治家が既存の組織に依存した組織型選挙を行う中で、角栄氏が指導する田中派は徹底した草の根選挙(日本ではどぶ板選挙と言う)を繰り広げました。そうして自民党所属議員の最大多数を田中派が占める事になりますが、中でも重視したのは参議院で多数を占める事でした。


 わが国の国会は二院制を取っています。その中で第一院の衆議院が第二院の参議院より優位にあると言うのが常識です。総理大臣を選ぶのも予算を決めるのも衆議院の議決が優先されるからです。しかし日本国憲法をよく読むと、参議院の力が想像以上に強い事が分かります。予算以外の全ての法案は参議院で否決されると廃案になる可能性があるからです。


 参議院の決定を覆すためには衆議院で三分の二以上の賛成が必要となります。現在は郵政選挙のお陰で再議決は可能です。しかし与党が衆議院で三分の二以上を占めることなど滅多にありません。そうなると参議院の議決の意味が重くなります。いかに総理大臣でも参議院の機嫌を損ねると政権運営がうまくいかなくなるのです。ですから昔から参議院の実力者は「天皇」とか「法王」と呼ばれてきました。総理大臣より強い権力を持っているという意味です。田中角栄氏はその事を良く理解していました。従って田中派は常に参議院で多数派を形成していました。


 次に角栄氏は野党の中に秘密の応援団を持っていました。社会党左派や公明党に張り巡らせた人脈です。この応援団の力を利用するには、国会運営を田中派が握る必要があります。従って国会運営の任に当たる議院運営委員長と国会対策委員長には必ず田中角栄氏の意向を受けた人物を押し込みました。これで全ての法案の帰趨が角栄氏の思い通りになります。国会での与野党折衝は当事者だけの秘密交渉ですから、総理大臣でも口を挟む事は出来ません。国会運営を握ると政治全体を牛耳る事が出来るのです。


 しかし日本の場合、政党と国会を押さえただけでは権力の全てを握る事になりません。明治以来140年にわたって権力を握り続けてきたのは霞が関の官僚機構です。そこを握らなければ権力を握ることにはならないのです。官僚機構の中でも権力の中の権力は大蔵省(当時)でした。戦前は内務省と外務省とが官僚機構の中枢権力でしたが、戦後日本を占領したGHQは内務省を解体し、統治構造の中枢に大蔵省を据えました。大蔵省は予算の配分を通じて各省庁をコントロールし、日本の戦後政治を主導しました。そして岸信介、池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫、中曽根康弘、宮沢喜一など多くの官僚出身者が政界に進出し、政治権力を握りました。


 これに対して官僚出身者とは程遠い非エリートの田中角栄氏がどのような方法を取ったかと言うと、霞が関の省庁対立に食い込むことでした。霞が関の官僚たちは総体として日本を支配し、支配を脅かす存在に対しては結束しますが、省庁の間にもまた縄張りを巡る激しい対立があります。角栄氏は権力の中枢からは程遠い郵政省と建設省の後ろ盾となり、その役所のために尽力することでこの二つの役所を我が物にします。


 
郵政省は郵便事業を行うだけの事業官庁で、霞が関では四流官庁と蔑まれていましたが、大蔵省からの予算配分を受けなくとも郵便貯金の特別会計で自立できる役所でした。しかもテレビと電話という将来の中心産業となる情報通信業を監督する官庁でもあります。一方の建設省も道路建設を通して日本の経済発展のための基盤整備に関わる役所です。これらの官庁をがっちりと押さえ込むことで大蔵省に対する発言権を確保し、角栄氏は次第に官僚機構に対する影響力を増していくのです。

 
39才で郵政大臣に就任するとテレビの大量免許を断行してテレビ時代を到来させ、45歳で史上最年少の大蔵大臣に就任して証券危機を収拾します。53歳で通産大臣に就任すると誰も解決出来なかった日米繊維交渉を決着させてアメリカから決断力を高く評価されます。それらは全て官僚出身の政治家にはない発想と決断のスピードによって成し遂げられました。そして総理に就任すると日中国交回復を実現させ、その後も資源外交などで独自の分野を切り開きました。1世紀近く日本を支配してきた官僚機構にとっては恐ろしさを感じさせる存在でした。それがロッキード事件につながったと私は見ています。(続く)

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ニッポン維新(7) 日本には野党がない

 「日本に野党がない」とはどういう意味か。「社会党は野党でない」とはどういう意味か。マスコミは社会党を野党と呼んできたし、国会では自民党と社会党が激しく対立してきたではないか。「予野党激突」という新聞の見出しを何度見てきたことか。そんなことを考えていると、角栄氏は「社会党は選挙で過半数の候補者を立候補させない」と言いました。


 この一言で私の目からウロコが落ちました。それまで万年与党と万年野党が続いてきた事を、私は有権者の投票の結果だと思っていました。しかし言われてみると確かに社会党は過半数を越える候補者を選挙に立てていません。全員が当選しても政権を取ることが出来ないのです。つまり社会党ははじめから政権を取らないようにしていた事に気づきました。国民が選択をする前に暗黙のうちに政権交代をしないようにしている。それが日本の政治構造でした。

 そう考えるとこれまで疑問に思ってきた事のベールが1枚ずつはがれていく気がしました。自民党には派閥があり、派閥にはそれぞれ総理候補がいて、総理の座を巡って自民党の中で権力闘争が行われている。その自民党総裁選挙をマスコミはあたかも政権交代のように大きく報道する。自民党は保守の筈なのに党内には右から左まで幅の広い主張が存在して「国民政党」と言われている。自民党単独政権が長く続いているのに誰も日本を独裁国家とは呼ばない。それどころか民主主義の国だと思っている。しかし総理大臣を選ぶ選挙に国民は参加していない。そうした事の謎が解けていくようでした。

 日本をアメリカやイギリスと同じ民主主義政治の国と考えてはいけない。これまで教えられてきた「常識」をいったん白紙にして、現実の政治を見つめるところから始めないと間違うと思いました。私の頭にはこんなイメージが浮かびました。権力闘争というフィールドでプレイをしている選手は自民党だけで野党は応援席にいるというイメージです。そのイメージが正しいか間違っているかを現実の政治に照らしながら確認していこうと思いました。

 結論から言うと私の仮説は間違っていませんでした。共産党を除く野党各党は自民党の各派閥の隠れ応援団の役割を果たしていることが見えてきました。どのようにして応援するかというと国会の与野党対決の中に組み込まれているのです。政権を倒そうとしているのは野党ではありません(自社対決時代の話で民主党が誕生する前のことですから間違えないでください)。政権を倒そうとする勢力は自民党の中にいます。政権を倒そうとする勢力は当然自民党の中で政権批判を行い、閣僚を引き上げるなどの反乱を起こしますが、同時に国会ではその派閥の意向を受けた野党が徹底的に反対に回ります。予算や重要法案が通らなくなり、追い込まれた権力者は交代せざるを得なくなるのです。

 当時は社会党の左派と公明党が田中角栄氏の秘密応援団でした。これに対抗して社会党右派と手を組んだのが田中派内で次を狙っていた竹下・金丸グループです。そして中曽根総理は労働大臣経験者の藤波孝生氏に指示して民社党との連携を強化していました。

このように権力の交代劇が国民の選挙によって行われるアメリカやイギリスと違い、日本の権力交代は国民の手の届かないところで、つまり自民党や国会の中だけで行われてきたのです。国民はそのことを少しもおかしいとは思わず、選挙では決して政権交代にならないのに日本を議会制民主主義の国と思ってきたのです。(続く)

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ニッポン維新(6) 田中角栄の話の聞き役

 田中逮捕から7年後の1983年、秋にはロッキード事件の一審判決が予定されていました。「報道特集」という番組を担当していた私は報道局長から配属先の希望を聞かれ、「田中角栄の最後を見届けたい」と答えました。こうして私は政治部に異動になり自民党を担当する事になります。


 その前年、田中角栄氏は自民党傍流を歩んできた中曽根康弘氏を総裁選挙で応援し、中曽根政権が誕生しました。少数派閥の中曽根氏は自民党最大派閥田中派の支えなくしては政権運営が出来ません。中曽根政権はいわば田中角栄氏の傀儡政権でした。メディアはこれを「田中曽根政権」と呼んでいました。

 10月、東京地裁は田中角栄氏に懲役4年、追徴金5億円の有罪判決を下しました。田中氏は直ちに控訴すると共に中曽根総理に解散総選挙を促します。一方の中曽根氏は田中氏に議員辞職を求めますが、田中氏はこれを拒否し、代わりに「自重自戒」と称して自宅に篭り政治活動を自粛する方針を表明します。

 この時期に選挙をやれば自民党大敗は必至です。中曽根総理は最後まで抵抗しますが、最大派閥の力にはかないませんでした。12月に「ロッキード選挙」が実施される事になりました。選挙の結果、予想通り自民党は過半数を割り込む大敗で、政権運営のためには新自由クラブと連立を組まざるを得なくなりました。一方で田中角栄氏は2位の候補の4倍という圧倒的大差で当選を果たします。

 
有罪判決を受けた刑事被告人が選挙で大勝利をおさめたのです。逮捕以来「田中型金権政治」は連日メディアで叩かれました。それにも拘らず田中角栄氏がこれほどの支持を集めた現実をどう考えたら良いのか。有罪判決やメディアの批判を覆した有権者が愚かなのか、それとも覆された司法やメディアがおかしいのか。選挙の結果を前に私は考えこまざるを得ませんでした。

 選挙大勝を受けて田中角栄氏は復権に向けて動き出します。その頃田中角栄氏の秘書の早坂茂三氏から「おやじの話の聞き役になってくれ」と言われました。角栄氏は自宅に篭って誰とも会わないため退屈していると言うのです。早坂氏が数ある記者の中でなぜ私を指名したのか分かりません。ただ早坂氏とは政治部記者になる直前に大喧嘩をした事があります。それが気に入られるきっかけだったのかもしれません。

 
親しい記者二人を誘って月に一度目白の田中邸に通うようになりました。勿論誰にも内緒の極秘行動です。近くで見る田中角栄氏はテレビなどで見てきた印象よりいかめしさがなく、柔らかさを感じさせました。よく「天性の人たらし」と言われましたが、決して人を見下すようなところがなく憎めない感じの人物でした。それから角栄氏が病に倒れるまでの1年間、昼食を共にしながら、思い出話から政局話など独演会を聞き続けることになります。

 
角栄氏の話は興味尽きないものばかりでした。それこそ毎回が目からウロコでした。おかげで普通の政治記者が知らない政治の裏側を知る事が出来ました。そしてこの国の構造が表で語られていることとは違うことを痛感させられました。

 例えばある日、目白の田中邸で国労(国鉄労働組合)の委員長とばったり出くわしました。当時の国労と言えば最左派の労働組合です。社会党左派に近いと思われる人物が自民党の実力者の私邸に来ている事に驚きました。委員長が帰った後、角栄氏に「何の用で来たのか」を聞きました。すると角栄氏は事も無げに「賃上げもストライキ処分の撤回も、みんな俺がやってあげている」と言いました。政治家の言葉ですからまるで鵜呑みにする事は出来ませんが、労働組合が社会党よりも自民党を頼っているのは事実のようです。そして角栄氏はこう言いました。「日本の政治で一番問題なのは野党がないことだ。社会党は野党ではない。あれは労働組合だ」。(続く)

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ニッポン維新(5) ロッキード事件の嘘

 日本の国の仕組みが教えられてきた事と違うのを痛感した最初は、戦後最大の疑獄事件と呼ばれたロッキード事件を取材した時です。


 ロッキード事件はアメリカの軍需産業ロッキード社の秘密工作が1976年に議会で暴露された事から始まります。ロッキード社は秘密代理人を使って各国の政府高官に航空機売り込みのための賄賂を渡していました。日本の秘密代理人は右翼の児玉誉士夫で、賄賂の総額は55億円でした。その工作によって全日空がトライスターを、防衛庁が対潜哨戒機P3Cを導入しました。

 児玉誉士夫は戦時中に上海で特務機関を組織し、戦後は国内の右翼団体を纏めてその頂点に君臨しますが、自民党の前身である自由党の結党資金を出したことから保守政界にも隠然たる影響力を持っていました。しかしその実像はベールに包まれ、それまで取材はタブーでした。

 児玉誉士夫が何故アメリカの軍需産業の秘密代理人となったのか。彼の政界人脈はどのようなものか。それを解き明かす鍵は終戦から昭和27年までのGHQによる占領期にあります。ところがこれが調べても分からないのです。GHQによる徹底した情報統制によって当時の事情は明らかにされていないのです。

よく「戦前・戦後」と区分します。戦前は民主主義のない時代、戦後は民主主義の時代と教えられます。しかし日本の歴史には「占領時代」があり、その時代の事はいまだに分からない事が多いのです。憲法も国会も官僚制度も現在の国の仕組みのほとんどがその時代に作られました。最も大事な時代なのですが、実は国民に知らされていない事が多いのです。

トライスター導入の決定に関わったとされる田中角栄前総理、児玉誉士夫と共通の秘書を持つ中曽根康弘幹事長、この二人の政治家に注目しながら私は取材を進めました。すると東京地検特捜部が逮捕するのはトライスター導入に絡む容疑者ばかりで、最終ターゲットは田中角栄前総理でした。流れた金は5億円、児玉からではなく丸紅からの工作資金でした。児玉誉士夫が入院したこともあり、P3C疑惑も残りの50億近い金の流れも解明されませんでした。ところがメディアは前総理を逮捕した東京地検特捜部を「最強の捜査機関」と賞賛し、ロッキード事件の真相究明よりも「角栄的金権政治批判」へと論調を移していったのです。

 ロッキード事件は当時の三木政権の「逆指揮権発動」だという指摘もあります。検察の行過ぎた捜査を抑えるため法務大臣には事件をもみ消す権限があります。これを指揮権発動と言い、造船疑獄事件で佐藤栄作自由党幹事長が逮捕を免れました。ロッキード事件はこれとは逆に田中角栄氏の政敵である三木総理が稲葉法務大臣を促して田中氏を逮捕させたというのです。司法が政治に操られる話ですが、いずれにしても事件が未解明に終った事だけは間違いありません。

 この2年後に全く同じ性格の事件が摘発されました。グラマン事件と言います。岸信介、中曽根康弘、松野頼三氏らの政治家の関与が指摘されました。しかし逮捕されたのは政界工作を行った商社マンだけで、金を受け取った政治家は誰も逮捕されませんでした。その後10年ほど検察は政治家を逮捕出来ない時代が続きます。そしてロッキード事件で逮捕された田中角栄氏は無罪を勝ち取る為、自らの政治力を益々強め、日本の政界を裏から牛耳るようになるのです。(続く)